味噌と魚の香り
10年前の2005年、私は台湾のCloud Gate Dance Foundation(財團法人雲門舞集文教基金會)の助成を受けて、初めて訪れた東京に二ヶ月間滞在しました。私にとって、幼少期の記憶の断片に思いがけず出会うことのできた、人生における最初の重要な転換点でした。味噌と魚の香りから、自分の祖父母に辿り着くいくつかの軌跡が日本に存在すると気付いたのです。その結果、のちに日本の芸術家と共同制作事業を行うようになってからも、日本の「味型」[編集部註:中国料理の専門用語で、味を、甘辛・甘酢・味噌・塩・辛み・胡麻・うまみ・酒味の8つに分類できると考える]と精神性に関する、極めて私的で小さな研究を続けることになりました。
ある一家の歴史
私の祖父は1918年、すなわち大正7年に台湾南西部に生まれました。大正デモクラシーの影響を受けていた日本による台湾総督府が、現地の倫理観や思想に寛容でリベラルだった時代に彼は育ちました。祖父は客家人でした。客家人は、自分たちの政治的アイデンティティを、清朝、明朝、宋朝、唐朝以前まで遡ることができる、中国本土中央部出身の純粋な漢民族に見出すことができる、台湾において最も保守的な倫理観を持っています。公学校[編集部註:当時台湾人の子供が通った小学校]を卒業後、祖父は職業訓練などの専門教育を受けるために故郷を離れて台北に移りました。日本は1937年に台湾人の志願兵(台籍日本兵)制度を導入し、1941年には東南アジアや太平洋各地への攻略作戦(南方作戦)に向けて、軍事訓練を含む準備を開始しました。軍に入りたくなかった祖父は、読売新聞が特派員を募集していることを知り、求人案内に応募したところ、幸運にも入社試験に合格しました。こうして彼は、1945年の終戦までの4年間、海外に赴任しました。
戦後、引揚船が台湾北東部にある基隆港に入港したとき、祖父は自分の両親に会うために数日間里帰りをしたのち、次の船で東京に向かうつもりでした。というのは、彼は東南アジアで数年働いて、北京語など中国語の方言と日本語の語学力を活用できる新聞社での仕事が気に入っていたからです。祖父によると、戦時中に一財産を築いたが、身の安全を考えて、引き揚げの際に捨てたそうです。その財産を、祖父が盗難や略奪、あるいは軍の武器の横領によって得たのかどうか、正確なところは私には分かりませんが、当時20歳代の彼は、若いなりにも日本人の同僚たちとはかなりうまくやっていたようです。しかし銀座の街並みを楽しみにしていた祖父は、日本に渡る船には乗れませんでした。なぜならそのような船がもうなかったからです。
私は1980年代に祖父母に育てられ、二人が朝から晩までNHKの衛星放送ばかりを見ていたのをいまでも憶えています。大抵はテレビの音声を流しっぱなしにしていましたが、7時の夕食の頃になると、祖母が台湾の伝統的なオペラである歌仔戯[編集部註:日本では「歌仔劇」と呼ばれる]の番組に切り替えたいと言い出すこともありました。
私の日本文学と演劇との関係
それから20年以上経った私は、2006年に日本から台湾に戻ってすぐ、現実の力に抵抗する寺山修司の芸術活動に惹かれ、博士課程で彼に関する研究を開始し、その年に自分の劇団を旗揚げしました。寺山の研究を進める間、2005年冬の東京滞在中に日本の食べ物と香り─例えば味噌と魚─に親近感を覚え、それが不思議だったことを思い出し、やがて祖父母について考えるようになりました。2012年には、アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)からの助成により、東京における二度目のレジデンシーの機会を得て、以前書いた寺山に関するいくつかの論文の事実確認をしたり、また彼の劇作を上演する二つのプロジェクトに関わったりしました。偶然にも同じ2012年に、語学が堪能な山縣美礼さんの協力を得て、川端康成と彼の潜在意識や、初期の官能的で写実的な作品、そして新感覚派に関する研究を行うことが出来ました。こうして山縣さんとノゾエ征爾さんと共に、川端康成三部作という事業を立ち上げましたが、2012年から2014年にかけて行われた一連のプロセスは素晴らしく、重量感のあるものでした。
結びに
最初の東京滞在から台湾に戻り、味噌と醤油と野菜の漬物について詩を書きました。香りを嗅ぐだけで、自分の中に埋もれていたいくつかの意識が蘇ると知り、亡き祖母をとても懐かしく思っていることを自覚しました。
台湾は、歴史のさまざまな痕跡が残っている場所です。ある時代には日本人が醤油や塩を持ち込み、近代化を進めてここを植民地とし、その後中国本土からやってきた政権とともに、小麦を原料とする食料品がもてはやされ、最近ではレモングラスや魚醤の流行により、東南アジアからの影響も加わりました。台湾では常に世代ごとに「味型」があり、それぞれが感覚的、政治的、そして客観的に独自の思い出の型となっていると私は思います。
彼女は現在から過去を回想し、いくつかの問題点を列挙する
彼女は将来を黙って受け容れる
なぜなら彼女が黙って受け容れる将来には起こりうるべきことが起こり、
それを超えることは起こらないからだ。
小石は砂粒に、落ち葉は汚泥となり、
麹、干物、味噌、キムチは、
全大豆植物学系譜に拡散し、
沈黙は世界となり、塩は酒となる。
一片の魚の干物は魚の様、
それが自由の新しい定義となる。
向こうに行ってしまったものたちの
身体の漬物、青春のリューマチ…
事務所の中、稽古場には、
より多くの人が群れて、
彼女も優雅に黴となり、神経質にウィンクして、
やさしく、いつも華麗に渦を巻きながら
味噌となる。
(劉亮延 2008年刊行詩集『牡丹刑』より)
[原文英語/翻訳:編集部]